ラップ。それは、自分の思いや魂を伝える熱い音楽。時には根深い社会問題に、ざっくりをメスを入れるアンチテーゼ。
そんなラップで、生きているラッパー。
当然、みんなかっこいいんです!
今回の記事では、国内外問わずイケメンなラッパーをピックアップし、ご紹介していきたいと思います。それではいきましょう。
イケメンラッパー:海外編
日本のラッパーから、と思いましたが、悔しいですがやはりラップであったりHipHopのルーツは海外。
まずは、海外のイケメンラッパーから紹介していきます。
Wiz Khalifa
はじめに登場するのはそう、Wiz Khalifa(ウィズカリファ)です。
本名は、Cameron Jibril Thomazさん。
抜群のスタイル、そしてとってもオシャレ
Wiz Khalifaは背が高く、スタイル抜群。ちょっと奇抜な服を着ても、ばっちり似合ってとてもかっこいいです。
(かわいいトレーナー)
(これはさすがにやりすぎ笑?)
曲も最高にかっこいい
Wiz Khalifaは数々の名曲を、世に送り出していますが、彼を語る上でなんといっても欠かせない曲は「Black and Yellow」でしょう。
初期に発表した曲なんですが、これが大ヒット。
Wiz Khalifa - Black and Yellow Lyrics
故郷のピッツバーグを讃える歌なんですが、何度聞いてもかっこいいです。
Wiz Khalifaの曲は、基本的にはゆったりとしたリズムで重低音が聞いた、俗に言うドープ(Dope)な曲が多いです。
これは、Wiz Khalifa自身が、自他ともに認めるマリファナ愛好家であることに起因しています。
どの曲聞いても、聞きながらマリファナ吸ってハイになるためなんじゃないかと思うほどです笑。
リリック(歌詞)もマリファナに関連するものが多かったりします。
ちなみに個人的に一番好きな曲は、「MAAN!」です。超かっこいい。マジドープ。
Wiz Khalifa - Maan (Instrumental Remix)
Eminem
続いては、Eminem(エミネム)です。
本名はマーシャル・ブルース・マザーズ3世。
ちなみにEminemは、本名のイニシャル「M&M」を早口にしたら「Eminem」になったというものが由来とされています。
「黒人優位」を覆した天才
Eminemは幼い頃から極貧の環境に育ちました。父親に捨てられ、母親からはひどい仕打ちを受け続けてきたといいます。
また、学校でも友達もできず、仲間外れにされ、いじめられ、自殺未遂も経験しています。
悪環境の中、自然とアフリカ系アメリカ人層やヒップホップに親しむようになりました。
14歳ごろから本格的にMCとして活動しはじめ、黒人優位のヒップホップ界において、白人ながらいくつものMCバトル・コンテストに挑戦するようになります。
そこからスキルを磨き続け、今の地位を築きます。
壮絶な青年期を過ごしたEminemだからこそ、彼のラップは攻撃的で、魂を揺さぶるのかもしれません。
圧倒的な高速ラップ
Eminem、というより有名な白人ラッパーの特徴として挙げられるのかもしれませんが、先ほどのWiz Khalifaのラップがゆったりしているものが多いのに対し、Eminemはたたみかけるようにラップをします。
まさに高速ラップ。
一体どこで息をしているのか、と思うほどです。
Lil Wayne
お次はこの人。Lil Wayne(リルウェイン)です。
まさに、これぞギャングスタ。体は小さいですが、圧倒的な存在感です。
生きている中で最高のラッパー
Lil Wayneは自分で自分のことを「生きている中で最高のラッパー」と言っていますが、実力は確かなものです。
11才でレコード会社と契約。14才のときにはラップグループの一員として、ラッパーとしてのキャリアを既にスタートさせています。
独特の歌声
Lil Wayneの特徴はなんといっても、その独特の歌声でしょう。
実際に聞いてみてください。
Lil Wayne - Lollipop (clean w/lyrics)
これは全米総合シングルチャートで1位を獲得した曲です。
形容しがたいのですが、なんとも言えない高さと、絶妙な歌いまわしで、クセになること間違いなしです。
以上、海外編でした。
イケメンラッパー:国内編
さて、日本も負けていられません。
次は国内編です。
SALU
まずご紹介するのは、SALUです。
んーイケメン。いい意味で、ラッパーぽくないですよね。
異色の経歴
SALUは1988年、北海道で生まれます。現在は神奈川県在住。父親の影響で4歳でDr.Dre を聴き音楽と出会いました。
14歳からラップは書き始めていたようですが、20歳の時には1年間シンガポールにてラーメン屋の店長を務めています笑。
なので、はじめからラップで食べていくという思いはそこまで強くはなかったのかもしれません。
そんなSALUの転機となったのは、シンガポールから現在住んでいる神奈川県厚木市に移り住んだことです。
SEEDAというラッパーに出会い、音源を渡した事をきっかけにSEEDAと共演。
そのレコーディングがBACHLOGICというレコード会社のスタジオで行われ、BACHLOGICがSALUの才能に惚れ込みONE YEAR WAR MUSICを作る事を決意するのです。
そこからラッパーとしてのSALUの活動が本格的に始まることになりました。
印象に残る「けだるさ」
実際に聞いてみるとわかると思いますが、SALUのラップはいい感じのけだるさがあります。
なんというか、ゆるーいというか。
引き込まれますよね。
この独特のスタイルが、他と一線を画す所以であると思います。
T-Pablow
続いてはこの人。T-Pablow(ティーパブロ)です。
この人もねー。かっこいいよね。
荒れた青年時代
T-Pablowも、Eminem同様、幸せな青年時代、とは言えない環境で育ってきています。
地元は神奈川県の川崎市。
母子家庭で育ち、小学生時代はよくサッカーをしていました。
土地柄でしょうか、小学校入学して間もないころから先生たちが運動会の出し物でラップをしていたような環境で育ったこともあり、幼いころからヒップホップに触れ合う機会は多かったといいます。
そして、10歳の時にZeebraの『The New Beginning』がきっかけでヒップホップを本格的に聴くようになりました。
中学校時代は不良で、不良グループのリーダーをやっていました。
弟が少年院に入り、手紙のやり取りをしていたことも後のT-Pablowのラップで歌われています。
当時はすさまじく、不良グループで活動していく中で地元のトラブルに巻き込まれたこともあり、精神的に追い込まれたときもあったといいます。
アメリカで改心
荒んでいたとき。
アメリカのオハイオ州に住んでいるおばが声をかけてくれたことがきっかけで、1人でニューヨークに渡航します。
そこでT-Pablowはストリートカルチャーに衝撃を受けます。帰国後は無心でリリックを書き始めたといいます。
音楽一本で生きていく覚悟を決め、高校には進学しませんでした。
そして、そこからラッパーとしてのT-Pablowが誕生し、今に至ります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
イケメンラッパーたちにはそれぞれに、個性あふれる人生のストーリーがあるように見受けられます。
そこで培ってきた唯一無二の感性が、彼らのラップに表れているのでしょう。
以上、イケメンラッパーまとめでした。